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運動の機会が減る子どもたち。大人のせい?

子どもたちが外で遊んだり、運動遊びをする機会が減少している現状があります。その背景にはさまざまな要因があることが明らかになってきました。では、私たちが今取り組むべきこととは何なのでしょうか。専門家の提言やアンケートの結果から見えてきた内容を紹介し、皆さまと一緒に考えてみたいと思います。
(※2024年7月21日 朝日新聞の記事を参考に要約しています。)

 

子どもたちに開かれた校庭でのびのびと遊ぶ場を提供する自治体も

 

週末の校庭を利用して、子どもたちは野球や遊具で自由に遊びを楽しんでいます。見守るボランティアの方々がいますが、特に厳しい決まりごとは設けられていません。野球をしなくても構わず、隅にある遊具で遊ぶ子どもたちもいます。
毎週土曜日の午後と日曜日の午前、約3時間にわたり、名古屋市名東区の市立猪子石小学校のグラウンドには、自由に遊びに来る子どもたちが集まります。彼らは好きな時間にやってきて、それぞれが思い思いの時間を過ごします。
6月の晴れた日曜日も、子どもたちの元気な声が校庭に響き渡りました。10人ほどの子どもたちに大人も加わり、試合形式の遊びやキャッチボールを楽しんでいました。この活動をボランティアとして支えているのは、61歳の浜口金弘さんです。コロナ禍で活動内容に変化が生じ、現在のような取り組みに至りました。
以前、名東区では子ども会によるソフトボール大会が開催されており、年に一度の大会に向けて子どもたちは練習に励んでいました。しかし、コロナの影響で大会は中止となり、その後も再開されませんでした。
浜口さんは20年以上続けてきた指導をやめることも考えましたが、わずか2、3人であっても遊びたいと願う子どもたちが絶えなかったため、校庭で彼らを迎え続けました。もともと本格的な指導をしていたものの、今では「子どもたちがプレーの喜びを感じられるかどうかが大切だ」と考えています。
「公園ではやりたくてもできないことがありますよね。だからこそ、場所だけでも提供し、子どもたちが来たいときに来られるようにしています。今日も、最初は全く打てなくて泣いていた子が、三塁打を打って大喜びしていました。その姿を見ることが、私たちにとって何よりもうれしいんです」と浜口さんは語っています。

 

勝利を追わず、楽しむ場でのびのびと成長する子どもたち

 

近所に住む三原裕子さん(47)は、小学4年生の長男・佑太君(9)が肥満気味であることに悩んでいたとのこと。コロナ禍以降、テレビゲームばかりの生活になってしまい、なんとかその状況を変えたいと考えていたのです。しかし、スポーツクラブに通わせるとなると、経済的な負担が増えるだけでなく、内容が本格的すぎて子どもがついていけるかどうかという不安もありました。
そんな中、この活動ならば気兼ねなく参加でき、無償でたっぷりと時間を過ごすことができます。佑太君は、お父さんと一緒に試しに参加してみたところ、「とても楽しかった」と大喜びしました。それ以来、毎週通うようになり、すっかり夢中になっています。
その結果、家でだらだら過ごす時間が減り、友達を積極的に誘って公園へ行くことも増えました。「痩せてはいないけれど、体重は増えていません! できるときはいつでも参加したいです」と佑太君は笑顔で話してくれます。今では、土日が来るのが待ち遠しいそうです。
最近では、校庭に集まる子どもたちの数も増えてきています。目的は大会で勝つことではなく、ただ楽しむことです。その点が保護者からも「良いところだ」と高く評価されているとのことです。
「周りを気にすることなく、気軽に思い切り体を動かせる環境は、子どもたちにとって必要だと思います」と三原さんは、息子さんの成長を見て実感されています。

 

遊びは権利。欧州に学ぶ外遊びの重要性と日本への提言

 

子どもたちが外で遊びにくい現状に対して、私たちがどのように対応すべきかを考えます。欧州での取り組みに詳しい、大妻女子大学の木下勇(いさみ)教授(環境情報学)にその提言を伺いました。
日本では「遊び」は無駄なものと見なされ、勉強に比べて後回しにされる傾向があります。その重要性が十分に理解されていないのです。しかし、欧州では「遊び」は一つの権利であり、生きる力を養うための重要なものとされています。子どもの頃に遊ぶことの重要性を示す科学的な根拠も数多く存在しています。
例えば、犯罪心理学の研究では、幼少期に遊びが不足していた人の中に犯罪者が多いという統計が示されています。また、経済学の分野では、貧困地区で育った人でも幼少期から自発的に遊ぶ経験をしてきた者は社会的な成功を収めているという調査結果があります。
1979年に私がドイツに留学した際、「プレーバス」と呼ばれる移動式の冒険遊び場に出会いました。このバスにはさまざまな遊び道具が積まれており、専門的に訓練を受けた「プレーワーカー」が各地を移動し、遊びを提供する活動です。
遊びの種類は非常に多様です。例えば、サーカス遊びでは大きなテントが張られ、空中ブランコや平均台などが用意されます。また、子どもたちが店を開いて街ごっこをするような遊びも行われます。これらは行政がNPOを支援する形で提供され、すべて無料で誰でも参加できるものです。
このような遊びを通して、子どもたちは挑戦することで得られる達成感や、周囲との対立を通じたコミュニケーション能力などの非認知能力を身につけていきます。難しいことに挑戦してハラハラしたり、失敗したりする経験も非常に重要です。こうした経験は、困難に立ち向かう力や想像力を養うとともに、精神的な発達にもつながるからです。

 

子どもの遊びを権利として捉えた社会づくりへの二つの提言

 

日本に対して、主に二つの提言とは。
まず一つ目は、お年寄りの方々に協力していただくことです。公園などで子どもの外遊びを見守りながら交流することで、子どもたちは知識や経験を学ぶことができますし、高齢者にとっても喜びや生きがいを見つけられる場となります。近年では、自分の孫ではない子どもたちを見守る「たまご(他孫)」を育む活動が地域で広がりを見せています。
次に二つ目は、遊びを子どもの権利として社会全体で認識することです。子どもたちの自然な好奇心を大人がしっかりと受け止め、彼らがやりたいことに挑戦できる環境を整備することが必要です。もし緑や遊び場が失われているならば、その地域は豊かな街とは言えません。
現在の日本の状況に対して危機感を抱いておりますが、同時に各地で実践的な取り組みが始まっているのも事実です。国策として適切な対策が取られれば、まだ希望はあると感じております。

 

遊ばない子どもたちと大人の責任-アンケートが突き刺す現実

 

取材を始めた当初、私たちが設定したテーマは「スポーツをしない子どもたち」でした。しかし、情報を集めて取材を進めるうちに、次第に危機感と問題意識が膨らんでいきました。「もっと広い視点で捉えるべきではないか」と考えるようになり、最終的にたどり着いたテーマが「遊ばない子どもたち」でした。
アンケートを実施すると、予想を上回る反響が寄せられました。多くの方が外遊びや運動の重要性を認識していることに安堵しましたが、その一方で、家庭環境や社会構造など子どもたちを取り巻く状況の変化により、遊べない理由がいくつも複雑に絡み合っている現実に直面しました。その状況を目の当たりにし、「この国の将来はどうなってしまうのだろう」と不安が募りました。
昭和30年代生まれの私自身、幼少期には外遊びをしない日はほとんどありませんでした。小学校の放課後には校庭に残ったり、自宅を飛び出して暗くなるまで遊んでいたものです。その経験が、体を動かすことの楽しさにつながっているのでしょう。現在でもサッカーを続けているのは、健康維持のためではなく、スポーツ自体が目的であり、仲間と共に過ごす時間が私の人生を豊かにしてくれていると感じるからです。
アメリカ先住民には「地球は子孫から借りているもの」という言葉があると言います。この言葉は環境問題でよく聞かれますが、教育や社会の環境にも当てはまるのかもしれません。
「今の子どもたちは遊ばないのではなく、大人のせいで遊べなくなった被害者だ」というアンケートの一文が、私の心に深く突き刺さっています。

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